■輸入元資料より抜粋■
アルバから北東に30km、アスティから南に20km、モンフェッラート地区の人口1500人の小さな街アリアーノ テルメで、セコンドとセラフィーノの兄弟により、
1925年にブドウ栽培と醸造を始めたトリンケーロ家。現当主エツィオの父親レナートが1952年にこの地域で初めて自家瓶詰めを行うための登記をした。
土壌は粘土石灰質、アルバよりもやや雨が多いこのエリアは、その豊かな土壌のゆえ古くから最上のバルベーラの産地として知られてきた。アスティに植えられている黒ブドウの85%はバルベーラ、その他はフレイザやドルチェット、グリニョリ−ノといったブドウばかりで、イタリアの品種の中で最も高値で取引されているネッビオーロが極端に少ないことが、バルベーラに対しての誇りの高さを感じさせる。
エツィオがワイナリーを引き継いだ時点で40ヘクタール近い畑を持っていたが、徐々に手放してきて現在は13ヘクタールまで減った。少数精鋭で大量のワインをボトリングする今までのスタイルから、質への転換とも言えるが、人材確保の難しさ、DOCG、DOC規定の不自由さと煩雑さも相まっての選択となった。トリンケーロの最上の畑であるヴィーニャ デル ノーチェ(くるみのブドウ畑)は、
ワイナリー創業の4年後にあたる1929年に植えられたブドウも現存しており、平均樹齢は80年ほど、今はかなりの本数の樹が枯れつつあり、収穫したブドウで一つの樽が埋まらなくなったときには、他のワインに混ぜられる予定。
イタリアのワイン法の改定に伴い、D.O.C.の格付け取得申請の際に記載した量よりも、結果的に多く生産してしまったワインは彼らのトップキュヴェ「ヴィーニャ デル ノーチェ」でリリースできなくなってしまったため、苦肉の策で97,98,99,01年の余剰分をブレンドしたのがロッソ デル ノーチェ1。その後も03を中心に04と06をブレンドしたロッソ デル ノーチェ2がリリースされた。第三弾として07,08,10,11のブレンドで造られたロッソ デル ノーチェ3をリリース。
それまでも白ワインは生産していたが、厳しいヴィンテージとなった2005年に大きな転機を迎えた。選別を終えたブドウの出来を見たエツィオは例年並みのクオリティの白ワインを造ることを断念。残った全てのブドウを混ぜしっかりとマセレーションを行ったワインを造ることに決めた。2005年はヴィナイオータ代表の太田の長男の遊人(ゆうと)の生まれ年ということもあり、出来上がったワインは「A-iuto!Bianco アユート ビアンコ」と名付けられ、ヴィナイオータで全量引き取ることになった。アユートの出来に手応えとマセレーションの可能性を感じたエツィオ、
2006年以降もアユート ビアンコを仕込み、それまで造っていた白ワインも徐々に変貌を遂げることになる。